◆東京五輪 男子マラソン(8日・札幌市)
世界記録(2時間1分39秒)保持者で、非公認では1時間59分40秒を記録したエリウド・キプチョゲ(ケニア)が2時間8分38秒で圧勝した。衰えを知らない36歳が前回の2016年リオ五輪に続き、金メダルを獲得した。
アブディ・ナゲーエ(オランダ)が2時間9分58秒で銀メダル。バシル・アブディ(ベルギー)が2時間10分0秒で銅メダルを獲得した。
今大会をラストレースと表明した大迫傑(ナイキ)が2時間10分41秒で6位だった。
中村匠吾(富士通)は約3・5キロで先頭集団から遅れ、2時間22分23秒で62位。服部勇馬(トヨタ自動車)は20キロ過ぎに先頭集団から遅れ始めた後、大幅にペースダウンし、2時間30分8秒の73位でゴールにたどり着いた。
ラストレースの大迫は日本勢として唯一、30キロまで先頭集団に食らいつき、見せ場をつくった。キプチョゲが30・5キロでスパートすると、レースが大きく動いた。キプチョゲが独走、先頭集団が崩れた。大迫は35キロ地点をキプチョゲから51秒差、3位から24秒差の8位で通過した。その後、銀メダルと銅メダルを争う2位集団を必死に追って、40キロ地点では2位集団と18秒差の6位まで浮上。メダル獲得の可能性を示す大健闘を見せた。
大迫はマラソン人生最後の2・195キロも激走し、6位でゴールに飛び込んだ。金メダルのキプチョゲと2分3秒差。銅メダルのアブディ(ベルギー)とは41秒差だった。1992年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した森下広一以来、29年ぶりのメダル獲得はならなかったが、2012年ロンドン五輪で6位となった中本健太郎以来、9年ぶりの入賞を果たし、有終の美を飾った。
クールな大迫はゴール後に男泣き。「前を追ったが、縮まらず、6位で粘り切ろうと思った。次の世代は6位からメダル争いに絡めると思う」と汗と涙をタオルで覆いながら、感慨深く話した。ここまでの競技人生については「100点満点の頑張りができた」と言い切った。
大迫の早大時代の恩師で、現在は、実業団の住友電工を率いる渡辺康幸監督は「マラソンでミラクルは起きません。冷静に実力を出し切ったと思います。その結果が6位。それは大迫自身も分かっていると思います」と静かに話した。
渡辺監督は、早大時代の大迫の良き理解者だった。大迫は主将を務めた4年時、最後の箱根駅伝の直前に海を渡った。2013年11月下旬から同12月20日まで約1か月もチームを離れ、米国オレゴン州ポートランドを拠点とする「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」でトラック練習を積んだ。渡辺監督は、箱根の山よりはるかに高い山を目指す大迫に対し、1か月の米国留学を認めた。というより、勧めた。結果的に14年1月の箱根駅伝では1区5位と苦戦したが、渡辺監督は一切、責めることはなかった。
それから、7年半。渡辺監督は、大迫を温かく見守り続けた。
「今大会をラストレースと表明したことは彼らしい決断です。3年後にパリ五輪がある、というような逃げ道をつくりたくなかったのでしょう。大迫は学生時代からストイックに競技に向き合ってきました。今回も、体を削るような、ぎりぎりの攻めた練習を積んできたと聞いています。よく頑張りました」。渡辺監督は、ラストランを終えた大迫を心からねぎらった。
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