そして、パラリンピックが開かれるはずだった2020年。国枝選手は年の初めに行われる全豪オープンを制し「自分史上一番強い」と胸を張るほど、万全な仕上がりを見せていました。
しかし、その直後、新型コロナウイルスの感染拡大で大会の1年延期が決定します。
「体も気持ちも力が抜けた」
すでに30代後半を迎えていた国枝選手にとって、一度合わせた照準を定め直し、コンディションを維持することは容易なことではありませんでした。
2021年に入ると思うようなショットが打てず「体」と「技」への不安が「心」にまで影を落とし、眠れない日々が続きました。
時には睡眠薬に頼ったり、ベッドに横たわり体だけでもなんとか休ませようとしたりました。
大舞台が刻一刻と近づく中、6月の全豪オープンは準優勝、7月のウィンブルドン選手権では1回戦敗退と、金メダルを争うライバルたちに勝ち切れない試合が続きます。
「負けるたびに何かを変えたことで、糸が絡まってしまい、何が正解かわからなくなってしまった。今度は絡まった糸をほどいて元に戻そうとしても、体が思い出せなくなっている。ウィンブルドンのころは、あと1か月しかなく重圧だった。毎日のように昔のビデオやノートをすべて見返した。自分のテニスの経験上、こんなに何年も過去をさかのぼったことがないくらい、何かヒントはないかとあがき続けていた。時間との闘いだった」
もがきにもがいた末、光がようやく差し込んだのは、東京パラリンピックのわずか1週間前だったといいます。
一番大きかったのは、国枝選手の代名詞で、攻撃を組み立てる生命線ともいえるバックハンドの復調でした。
2018年から指導していた岩見亮コーチと話し合い、この1年に試行錯誤してきた努力はすべて捨て、最後の1か月で前の年までのバックハンドの打ち方に戻す決断をしました。
急な修正でしたが、大会1週間前になんとか形にすることができました。
前の年から人知れず苦しんできた腰痛も北嶋一紀トレーナーの献身的なサポートで少しずつ上向いてきました。
なぜ、窮地から活路を見いだすことができたのか。
3連覇のかかったリオデジャネイロパラリンピックで、ひじのけがと若手の台頭からベスト8敗退の屈辱を味わいながら、その後、どん底からはい上がって再び世界1位に返り咲いた、国枝選手。挑戦者として再び頂点を目指し走り続けてきたこの5年の経験が自らを救ったといいます。
「リオでの挫折の経験が大きかった。『体さえ無事であればまた進めるし、進めるならばどんどんチャレンジしていけるよね』と思えるようになった」
重圧、不安。それを乗り越えた国枝選手は、東京のセンターコートで輝きを放ちました。
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