名将が高校サッカーを去る。青森山田高は準々決勝で終戦。来季からFC町田ゼルビア指揮官への転身が決定している黒田剛総監督にとっても最後の試合となった。28年を振り返り、こみ上げる思いとともに「こんな強い青森山田になると思って始まった私の監督生活ではなかった」と語った。
1994年から青森山田の指揮官となった。2005年の総体で全国初優勝。強豪として徐々に名を馳せていき、2016年には高円宮杯U-18チャンピオンシップと選手権を制覇した。近年の選手権で青森山田は頂点に君臨。直近6年間では3度優勝、2度の準優勝を果たしていた。
昨年に来季の町田指揮官就任が発表されると、青森山田では総監督に。本大会は正木昌宣監督がチームを率いた。最後の選手権はベスト8で敗れ去った。「この経験が次の青森山田を、もっと強い青森山田を作っていくいいスタートになったと思う。3冠を取った翌年の、すごく難しい重圧のかかった一年だったことは間違いない。ベスト8で終われたことは悪いことではない。しっかり来年につなげられるように」。力の限りを尽くしたチームをねぎらった。
青森山田の指揮官として約30年間を過ごした。「ひたすらもがき苦しんだ時代もあった。ただ、この6年、7年と青森山田の時代を作ることもできた。一言で言ったらすごく楽しかった」。ほんの少し涙をにじませながら、それでも表情は晴れやかだ。
「気づけば中高で選手は330人。18人から始めたのがウソのような大きい組織になった。これだけ全国のサッカーファンに、いろんな夢や感動を与えられるくらいに成長したことは幸せなこと。離れることを考えれば考えるほど、涙しか出ませんけど、でも後悔はない」。
改めて高校サッカーを去る理由、Jリーグの指揮官に挑む意味を、熱を込めて説く。
「101回、102回から新しい高校サッカーがもうひとつのページに移るところ。長期政権がいいわけではない。日本サッカーのためにも、フレッシュな状態で循環していくことが重要。そういうところも含めて、自分自身が次にチャレンジしたところもある」
「自分自身がある程度結果を出すことによって、高校サッカーに夢を抱いている指導者たちの目標になったり、チャレンジする人たちが一人でも増えるということは有難いこと。高校サッカーの監督たちの価値を上げることにもなる」
「リスクはあるし、一年でクビになる世界。でも、やるのは自分しかいない。人がやったことのないことをやるのが自分らしい。(きょう)負けた悔しさを持って、絶対に町田で一年で上がってやるという闘志がメラメラと湧き上がったところもある。本当に入念な準備をして、最高の勝負に持っていって、おれたちが教わった黒田監督はこういうこともできるんだということを証明したい」
サッカー不毛の地、雪国の青森で一時代を築いた自負がある。「雪国サッカーもどんどん出てきてほしいと思うし、私も雪から出てきた指導者として全国を取りたい。J1にも行きたいと思うし、あわよくばさらに……という。映画化されるくらいにしたいですよね(笑)」。雪を溶かすほどのサッカー熱は、まだまだ冷めることはない。
(取材・文 石川祐介)
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